2011年6月30日 「第1回 東松島市大曲地区物資配布」

天気予報では大雨注意報が出ている中,5台の車に支援物資を積んで,東松島市大曲地区に向かいました。これまでの12回は石巻市内での支援でしたが,このたび初めて東松島市をお訪ねし,教会に集うT姉のご親戚の駐車場をお借りしての物資支援となりました。

伺った地区は,50mほど南側にある横に長いブロック塀のおかげで津波の被害が比較的少なくなったのではないかということでした。それでも窓から,また床の下から入ってきた水で,1階が浸水してタンスや冷蔵庫がひっくり返ったそうです。そこから100m南側は家が流されているということでした。

震災から3ヶ月が経過していましたので,海水で汚れた畳や家具などは,すでに片付けられ,家々はきれいに洗われて,外側からは津波の痕跡が感じられないほどになっていました。

いつものようにブルーシートを敷いて,食料品(25品目)・生活物資(42品目)コーナーを作り,衣類・食器類と分けて並べて,コーヒーコーナーのキャンピングテーブルを広げ,物資をお渡ししたり,コーヒーを飲んでいただいたりしました。

物資を取りに来ることのできない方々のために,今回は個別訪問も実施しました。若い兄姉の頑張りによって8軒ほどのお宅に物資をお届けすることができました。

その日は大雨どころか,とても暑い日で(仙台34℃),みんなゆでダコのように真っ赤になって働きました。

これまで一度も物資支援がなかったということで,「何かをもらえるのが嬉しいというより,来てくれる気持ちが嬉しい」とか,「今度はいつ来るの?」という声が聞かれました。「次はいつ来るの?」と,いつ,どこに行っても聞かれますが,私たちの小さな働きでも喜んでいただいているのだなあと本当に嬉しくなります。

イチゴ畑が全滅し,庭に20数台の車が流れてきて,7人の方のご遺体が見つかった敷地に住んでおられる方,私たちが伺った日まで,先のブロック塀を越えて,その南側には行くことができなかったとおっしゃる方など,津波が皆さんの心にどれほどの恐怖心や喪失感を与えているのかということも知らされました。

また壊れた建物や流れてきた家財などが片付けられて,以前のような外見に戻っていくと,実は助けを求めている方達がいるのに,外からは見えなくなっていくのではないだろうか・・・,震災直後は外で洗い物や片付けをしていたり,壊れた窓から中の様子が見えたり,そこに住む方達の状況を垣間見ることができましたが,時間が経つと悲しみや苦しみを抱えたまま内にこもった人たちに気づかなくなっていくのではないだろうか・・・と被災された方々のことが案じられました。

教会に戻ったら,東松島市のSさんから「支援物資のご案内のチラシが入っていたのだけれども・・・。」という電話が入っていました。折り返し電話を差し上げたところ,外国出身の方だということがわかりました。ご希望があった物資を宅配便用の箱に詰めながら,もしかしたら,一人の人を助けるために私たち16人が東松島に遣わされたのかもしれない・・・,私もそんな風にして神様に愛されてきたと感謝しながら,その日の物資支援の働きを終えました。

(庄司 弘子 記)

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