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同情・人の身になる

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Live64 / Pixabay

わかってほしい

「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)

私達は皆、自分のことをわかってほしいと願っています。「大変ね。」の一言が欲しい、自分の立場に同惰して欲しいという気持ちがあるのです。このことは私達の人間関係を考える上でどういう意味を持っているでしょうか。聖書は、何でも自分がして欲しいことは他の人にもしなさい―それが人間関係の鉄則だと語っています。ですから、わかってくれないと嘆くかわりに、まず自分の方から相手の身になって考え、わかってあげようとすることで、よい人間関係を築いていくことができるのです。

相手の身になって考える

人はイライラしたり、感情的になったりすると、とんでもないことを言ったりやったりしてしまいがちです。ところが、これがその人の本性(本当の姿)なんだと決めつけられたら悲しいことです。一般的に女性は疲れた時や眠い時にイライラしやすくなり、男性はお腹がすいた時に怒りっぽくなります。このことを知っておくだけでも随分違います。カーッとなっていろんなことを言ってしまったけれど、あの時は疲れていたんだなと理解してもらいたい、−そのように、相手のこともその人の立場に立って考えるならば、非難する気持ちがだんだん消えていきます。

人は許す理由があれぱ、案外許すことができるのです。ですから許す理由を見つけることも大切です。また実際にその人の生い立ちや経験などを理解するならぱ、自分がもし同じところにいたならば同じことをしたかもしれないと、7割方許せるようになるのです。「あなたがそう思うのももっともです。もし私があなただったら、やっぱりそう思ったと思います。」と、あなたがもし心から言えるなら、たとえ難しい関係となった相手でも、その人の悪い感情は消えていきます。自分の気持ちをわかってもらえたと思えば心もおさまってくるのです。人の立場にたって考えるということは、人間関係を良いものにしていくためにとても重要です。でもこのこともすぐにできるわけではありません。あきらめないで、たんだんに訓練し、その習慣を身に付けていくことが必要です。

相手を正しく理解する

仮にある人が「ノートを破られちゃった。」と言ったとします。この人はどんな気持ちで言ったのでしょうか。「くやしい。」と思っているかもしれません。反対に「捨てようと思っていたからちょうどよかった。」と思っているかもしれません。あるいはまた、誰かと話す中で、白分の言ったことを全く違うふうに解釈されて話がどんどん進んでしまい、困惑してしまった経験はないでしょうか。人間は案外色々なことを考えているものなのです。それなのに相手も自分と同じことを考えていると思い、誤解してしまうことが多いのです。

特に家族の間では、わかっていると思い込んでしまいがちであり、わかっていると思うために、理解しようという気が起こりません。こうに決まっていると自己中心に考えてしまい、その結果難しい問題を引き起こしてしまうこともあります。むしろ自分は相手の気持ちをわかっていないかもしれないと考えた方がよいのです。その時初めて理解しようという気持ちが出てきます。そして、例えぱ「くやしかったの?」などと色々と聞いてあげれば、たとえそれが違っていたとしても「いや、こういうことなんだ」と訂正してくれ、悪い感情を持たなくてすむのです。相手がどういう気持ちで言っているのかわかってあげようという心で人と接することもまた、人間関係をよくする上でとても大切なことです。

同情して下さる神

しかし、そのようなことではおさまらないことがあります。どうにも我慢できない、許せないという問題にぶつかった時(それこそが人間関係の本当の問題ですが)、どうしたらよいでしょうか。聖書はこう語っています。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15〜16)

大祭司とは、神と人間の間をとりもつ方という意味です。神様といわれても自分とは縁遠いというイメージがあります。しかし、この神様と、色々な悲しみ、苦しみを持った人間とを仲介して下さるイエス・キリストという方がおられる。この方は神であられたにもかかわらず、私たちと同じこの弱い肉体をとって地上に来て下さった。だからこそ、私たちの弱さに本当に同情できる方であり、この方に何でも言ってよい、愚痴ってよいのだと聖書は語っています。

聖書の神様はあわれみ深い方―気持ちをわかって下さる方です。バチをあてる神ではありません。この神様はまた恵み深い方でもあります。恵みとは受ける資格のない者が受けるもの(働いた結果受けるのは報酬)です。だから私達は遠慮せず大胆に「慰めて下さい」「助けて下さい」と言ってよいのです。たとえまだ何もわからなくても、何回か祈ってみるうちに、なぐさめられる(何か自分の心がおさまる)という経験をされることでしょう。そのようにして神様という方がだんだんわかってくるのです。

やがて、人に言った時とは違う深い心の平安が与えられ、いつかそこから立ち上がる力が自分の内に出てきていることに気づかれることでしょう。私達は気づかないうちに同情を受けた者となっており、神様がわかって下さるという気持ちが出てきます。その時初めて、私達の内に自然に人を思いやる心が芽生え、許してなんかやるものかという思いが溶かされていくのです。どんなことでも祈って自分の気持ちを神様に受け止めて頂き、人を許すもの、人の立場に立つことのできる者とされ、よりよい人間関係を築いてゆく一人一人になれたら幸いです。

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