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積極的な人生へ

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積極的な人生

もしあなたがバイオリニストであり、しかもその大切な左手の指を何本か切断したとしたらどうでしょうか。もうだめだ…そこには絶望と不可能の文字しか出てこないのではないでしょうか。しかしこのような状況の中で、私には右手にまだ指がある、と考えて訓練を重ね、アイオワ州のオーケストラで素晴らしい活躍をしたマートンという人がいます。同じ状況の中でも、できるはずだと積極的に考えていくならば道は開けていきます。しかし反対に、もう無理だとあきらめるなら、何もできないままで終わってしまいます。あなたはどちらのタイプでしょうか。

消極的な人生

自分がどちらのタイプかを知るために、次の質間に○×で答えてみて下さい。

・何かをしようとする時、うまくやる方法を捜すかわりに、うまくいかない理由を捜す。
・恐怖心から決断を下す傾向がある。
・できるかもしれないと積極的に考えるよりは、できないんじゃないかと消極的に考えることが多い。
・何か提案された時、十分な説明を聞く前に、心を閉じてしまうことが多い。
・あるアイデアに対して、利点を指摘する前に、まず欠点を指摘するほうだ。
・疲れたとか、そのほうが簡単だとかいう理由で、消極的決断を下すことが多い。
・人間の性質は、本当は変えられないと信じている。

もし○が多かったならば、自分は同じ人生を浪費している可能性があると、注意する必要があります。私達は消極的な決断を下す時、それを正当化するために、様々な理由を考えます。“私は年をとりすぎている”、“私は不利な条件を抱えている”“時間と余裕とお金がない”“私は、いやしい、みじめな育ち方をした”“十分教育を受けていない”等々…。しかし、人間が本当に何かを目指していくなら、不可能でないことが沢山あるのです。たとえあなたが今、上記の質間に○の多いタイプだったとしても、これもまた積極的な見方をすれば、これから大いに変えられていく可能性があるということです。では、どのようにすれば、それを克服することができるのでしょうか。

良いことに目をとめる

積極的になる第1の秘訣は、『良いことに目をとめる(ピリピ4:8)』ということです。できない、自分はダメだと思うかわりに、どうやったらできるかなと、可能牲のある方法(それが実際できるかどうかは別として)をまず色々考えてみるのです。大きなことを一気にするのは無理だとしても、小さなことを積み重ねていくならば可能性が出てきます。聖書は、そのような私達に、励ましとなる言葉を沢山与えてくれています。

「イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカ18:27)

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

私達は、自分を見るから失望するのです。こんな性格では・・。こんな育ちでは・・。しかし、神を見れば失望しません。聖書の神様は、この天地万物を造られた方です。ですから、この方には不可能はないのです。しかも、それだけではありません。もしあなたが神様に頼るなら、私を強くして下さる方(=神様)によって、どんなことでもできる―どんな試練も乗り越えて行くことができるというのです。神様はそれほどに大きなお方です。ぜひこのことを覚えて下さい。それは良きことに目をとめることになり、それが皆さんのうちに大きな力を与えるのです。

変えられた人生

賀川豊彦は、幼い時、悲惨とも言える環境で生まれ、育ちました。しかし彼は、あるときキリストと出会い、その人生が本当に変えられていきました。やがて日本で生協運動をおこし、又ライ病の人をだき抱えるように世話をして日本に本当の福祉の歩みを始め、日本人の中で最も世界に名を知られる人の一人となったのです。人はキリストにあるとき、どんな人でも変わることができるのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)

あなたは、自分の性格は決して変わらないと信じているでしょうか。―だから変わらないのです。しかし、神様にあっては変わることができると信じるなら、あなたの内に新しい人生が可能となってくるのです。

「イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」(マルコ11:22〜23)

神様は、私達にこのような祝福、恵みを与えようとしてくださっています。イエス・キリストが十字架にかかり、私達のかわりに罪の罰、のろい、裁きをその身に受けてくださったので、私達がそのような恵みを受けることができる道が開かれたのです。問題は、私達がそれを信じて受け取るかどうかです。いくら聞いても、自分が踏み出さなければ、それを体験することはできません。あなたもぜひその一歩を踏み出して、この神様の力を体験なさることができますように。

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