では、“キリストのうちにあるなら”とは、具体的にどういうことでしょうか。イエス・キリストは
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
と語られました。ですから、あなたもキリストのところにいき、「私は自分のここがイヤでたまりません。私を変えて頂きたいのです。」と素直に申し上げて下さい。これが祈りです。
私はかつて父親を憎んでいました。決してそんな自分で良いと思っていたわけではありません。でも父の顔を見るとイヤだという感情がこみあげ、そういう態度になってしまうのです。ある時、「もし私を造り変えるという神様が本当におられるなら、このところに来て下さい。」と祈ってみました。その時確かに、私の内にあった氷のように冷たい心が溶かされていくのを感じました。それから私の内に変化が起こり始めたのです。このことを体験したのち、私は更に少しずつ、自分の生活の中のその他の大きなこと、小さなことをも、「神様どうぞここに来て下さい」と祈るようになりました。やがて、この方になら私の人生をすべてお任せしても大丈夫と思えた時、この方に生涯従って行こうという決断ができたのです。その時本当の意味で内側に大きな変化が訪れ、確かに造り変えられた新しい人生が始まったことを知りました。
もしあなたも造り変えられたいと思うなら、キリストのもとに行ってあなたの願いを素直に申し上げて下さい。私達の心を開くかどうかは、自分自身がそうしようと決めるほかありません。ほかの誰も、あなたの心を強制して開かせることはできないのです。でも、もしあなたが心を開いてキリストをそこにお迎えするなら、この方があなたの心に来て親しい交わりをもって下さるのだと、聖書は約束しています。これは、他の人の目から隠れたところでの、あなたと神様との個人的な関わりです。そしてこれからは、キリストがあなたを内側から造り変えて下さるのです。
「見よ。わたし(キリスト)は、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3:20)
|