『しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。』 ・・・私達が正しく生きる時、美しく老いることが出来るのだと聖書は語っています。では、正しく生きるとはどういうことでしょうか。
「主(神様)はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ6:8)
正しく歩むとは私達を造られた神と共に歩むこと、その時私達は美しく年を重ねて行くことができるというのです。神様は、私達がどんな状態であってもそのままに受け入れ、赦し愛して下さる方です。そんなうまい話はない、と思われるかもしれません。確かに私達が正直に自分の姿を見るならば、しまったと思うようなことが誰にでもあるものです。ですからそこに付け込んで、祟りだ・呪いだといって物を売りつける悪徳商法がはびこるのです。しかし、イエス・キリストはそれらの責めを、またあなたの弱さを全部御自身が担って、あなたの身代わりに十字架にかかった。すでに代価は支払われている。だから、あなたを赦し、そのままに受け入れ愛すことが出来るのだと言われるのです。
この方を信じて歩む時、今までとは違う新しい生き方が可能になってきます。あれもこれも出来なくなり失敗ばかりの自分、しかしそうであっても神様はそのままに愛し受け入れて下さっていることが分かれば、ひがみやねたみは出てきません。かえって心から「ありがとう」と言うことが出来るのです。“老いの重荷は、神の賜物”・・それは、自分が神様の前に価値ある者として受け入れられていると知ることから来る心の想いです。この神様を心にお迎えする時、たとえ私達の肉体は衰えていくとしても、内側から日々新しくされる命に生きることができるのです。この命の中に豊かに生き、美しい老いを迎えていきたいものです。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(IIコリント4:16)
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