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見えないものに

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jarmoluk / Pixabay

水野源三の生き方

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い艱難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(IIコリント4:16〜18)

上の言葉は、水野源三さんが大好きだった聖書のなかの一節です。水野さんは9才の時に赤痢にかかり、さらに脳膜炎を併発してその後遺症のために体の自由を奪われてしまいました。最初のうちは、「死にたい。死にたい。」といつも口走っていたそうです。しかし、その唇さえもがついには動かなくなり、話すこともできなくなるという絶望の中にいたとき、彼はイエス・キリストと出会い、その時から、周りの人がびっくりする程にパッと変わったというのです。やがて水野さんは多くの詩を作り始めました。言葉を話せない源三さんのためにお母さんが五十音表を指さし、源三さんが瞬きで合図して音を一つ一つ拾い、書き表していくのです。それがどんなに大変な作業であるかは、実際に試してみて初めてわかります。

生前の源三さんを家に訪ねた方が、次のように書いておられます。『源三さんのことは、具合の悪い方だとは知っていました。しかし、あれほど大変だとは思いませんでした。いつもこたつに顔を乗せられていますが、一人で七転八倒しながら、すごい時間をかけてあの態勢になるんです。これほどの中からあの詩が生まれてくる・・・。

生きていくことが苦しみそのものです。しかし、彼の作った詩からはそんな苦しみよりも、希望と喜びとが出てくるのです。

キリストのみ愛に触れたその時にキリストのみ愛に触れたその時にキリストのみ愛に触れたその時に私の心は変わりました憎しみも恨みも霧のように消えさりましたキリストのみ愛に触れたその時にキリストのみ愛に触れたその時に私の心は変わりました悲しみも不安も霧のように消え去りましたキリストのみ愛に触れたその時にキリストのみ愛に触れたその時に私の心は変わりました喜びと希望の朝の光がさして来ましたお母さんのうめじさんは、次のように書いておられます。

神様に救われてからの源三は、声こそ出しませんが口を大きくあけて顔いっぱいに笑い、喜びの日をおくるようになりました。時たまけいれんを起こして苦しみますが、またすぐに明るい顔をしているのを見て、健康な私たちが反対に力づけられるくらいです。私の入院やいろいろなことがあってから、源三のもっている信仰は、目に見えるものがすべて取り去られても、変わらないものであることを教えられました。私の信仰は、源三に助けられながら一歩一歩進んできました。もし、源三がこのような病気になっていなかったら、私たち親子は神様を知ることがなかったかもしれません。 かつての私は、源三と同じくらいの年頃の子供が元気にはしゃいでいるのを見ると、どうしてうちの子だけこんなになったのだろう・・・と、悲しいような、だれにともなく怒りたいような、たまらない気持ちになりました。しかし救われた今では、すべてが神様の御手の中にあることを思って、ただ感謝するばかりです。

今日一日も冷たい水のうまさに夏を感じ新聞のにおいに朝を感じ風鈴の音の涼しさに夕暮れを感じかえるの声はっきりして夜を感じ今日一日も終わりぬ一つ一つの事に神様の恵みと愛を感じて私たちの心の中にもし神様が来て下さらなければ、たといどんなに表面的な状況や環境が整っていたとしても、本当に幸せになることはできません。しかし、体の不自由さばかりか、語る言葉さえも取り去られた源三さんが、「私は幸せです。」「本当に感謝です。」と言えたのはなぜでしょうか。それは、彼の心に満ちるものがあったからではないでしょうか。

「キリストにお会いしてから・・・」彼はそう叫んでいます。私たちは目に見えるものに動かされます。そこに幸せがあるように思うのです。しかし、それらがすべて取り去られた所にも、本当の平安・変わらない喜び・希望があるのです。

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(IIコリント4:18)

あなたの心は今満ちておられますか。あなたは、少なくとも水野源三さんよりも恵まれたところに置かれているのではないでしょうか。でも皆さんの心に、源三さんが持っていた希望を持っておられるでしょうか。喜びを持っておられるでしょうか。生かされていることを本当に感謝できているでしょうか。

違いは、そんな自分を愛して下さる神様を心にお迎えした、キリストをお迎えした、そこから始まるのです。どうか皆さんも、この神様に「もしそうなら、私のうちにも生きる希望・生きる喜び・生きる力を与えて下さい。」「イエス様、どうか私の心の中に来て下さって、私の人生も作り変えて下さい。」と祈ってはいかがでしょうか。

この水野源三さんを喜びに作り変えて下さった神様が、皆さんの心の内側からも作り変え、お一人お一人に新しい人生を与えて下さいますように。

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