「神はこのように、人を御自身のかたちに創造された。」(創世記1:27)
聖書は、人間は神のかたちに造られた、と語っています。人はなぜ神を求め、生き甲斐を求めるのでしょうか? 自分はなぜ生まれたのかと思いめぐらすのでしょうか。知恵を持つ動物は他にもいますが、愛・真実・正しさを求め、世界の平和を願うのは人間だけ・・・それは、人が神のかたちに造られている証拠なのです。私達が、お互いを神のかたちに造られた尊い存在であると認めるなら、相手を敬い大切に扱うことができるようになるはずです。それを忘れたときに悲劇がおこります。数年前神戸で‘酒鬼薔薇聖人’と名乗る少年が起こした残虐な事件は、人を‘腐った野菜’としかみられなくなった歪みが生んだものといえるのではないでしょうか。
しかし、私達もまた気をつけなければ、相手を神が造られた尊い人としてみることを怠り、自分中心や虚栄からあれこれ判断してしまう危険があるのです。聖書は『へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。』 と語っています。この事を肝に銘じて歩みたいものです。しかし同時に、そうしたいと思ってもできない、それが私達の現実でもあります。その時は、尊敬できない自分の姿を正直に認めて、「私は、あの人を敬うことができません。」と神様に告白することです。その時神様はそんな私達を赦してくださり、そればかりかきよめてくださる・・そこから解放し尊敬できる心へと変えてくださるのです。
「もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Iヨハネ1:9)
自分でもどうしようもない心が神様の恵みによって変えられるとしたら、それこそが本当の奇跡といえるのではないでしょうか。 |