自分が許された経験を持つ人はかなりのことでも人を許すことが出来、反対に、許されたという経験がない人は、小さなことでも絶対に許せないという気持ちが強くなります。私達は実は幼い時からこのかた、多くのことを赦されないままになっているために、いつのまにか言い訳と弁解で生きる人生になっているのです。ですから、人のこともなかなか許せません。そんな私達に聖書は
『互いに赦し合いなさい』 と語っていますが、それは
『キリストが私達を赦して下さったのだから、そのように赦しなさい』 ということなのです。教会に必ずある十字架は、そのことを表しています。約2000年前、キリストは何一つ悪いことをしなかったにも関わらず十字架刑に処せられました。それは私達すべての罪を赦すためだった、と聖書は語ります。自分で取り返しがつかないことをしたと思う時、そのことを「神様、ごめんなさい」と正直に認めて下さい。その時神様は、私達を赦しきよめて下さると聖書は約束しています。この約束を自分自身へのこととして受け取り「赦して下さってありがとうございます」と祈る、この事を日々の生活の中で積み重ねて行くとき、こんな自分が神様によって赦されているんだからあの人のことも許そうと、私達のうちに人を許す力が成長していくのです。
そしてさらにその上に
『愛を着けなさい。』 と聖書は語ります。
『愛は結びの帯として完全なもの』 ・・まさに愛は人間関係を良くする秘訣です。では、愛とはなにでしょうか?聖書は次のように語っています。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」(Iコリント13:4〜8)
自分が愛しているかどうかこれに一つ一つ照らし合わせてみるなら、とても自分にはないと思えます。そうです、実はこのような愛は神様からしか来ないのです。ですから、神様にこのような愛を下さいと祈っていく、その時自分のうちに愛が少しずつ与えられてきます。そしてさらにキリストは私達に平和(平安)を与えて下さいます。赦されて生きるという安堵感・平安は、神様が与えて下さる得難い恵みです。キリストの赦しと平安を頂いて生きること、それが私達が日々感謝の中に生きる秘訣なのです。 |