では、“生きがい”とはどこにあるのでしょうか?私達の生活の中に一つのヒントがあります。私達が本当に充実感を持つのは、自分がだれかのために役立っていると感じる時ではないでしょうか? 先日新聞で、1人の若者の書いた投書を読みました。ある日彼が電車でおばあさんに席をゆずった時のことです。おばあさんは大層喜んで何度も何度も彼にお礼を言い、おまけに自分が持っていた飴を一つくれたのだそうです。席をゆずっただけでこんなにも感謝されて、自分はそのおばあさんから何倍もの宝を頂いた気がすると彼は書いていました。その若者は自分が役立ったことが何よりも嬉しかったのです。
実は普段うっかり見逃していますが、私達の心の内には、自分が損をして他の人が得することが嬉しいという心根があり、そこに私達の生きがい・生きる力の根本があるのです。反対に自分の得することばかりを追い求め、自分中心の生き方をしていくならば、だんだん人が自分から去っていき、多くのものを失う結果となります。
「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。」(箴言11:24)
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6:38)
見返りを求めないで与え、他者のために生きる時、かえって自分が豊かに生きる力が与えられていくのです。とはいえ、そうは言っても人間とは結構非情なものです。いくら見返りを求めないとはいえ、与えても与えても、なお裏切られることもあるのです。そんな時がっかりして、もうイヤだと、せっかく他者のために生きるという充実の道があるのに止めてしまう。するといよいよ心は貧しくなるのです。実は、本当の「他者」とは誰なのか。それは決して裏切ることのない方『神様』であり、この方ために生きる時私達の内に本当の生きる力が与えられていくのだ、と聖書は教えているのです。
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