「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Iヨハネ1:9)
聖書でいう『罪』という言葉には、“ずれ”という意味があります。本来あるべき姿から、親として、妻として、子供として、人間としてずれている・・それが罪の姿なのです。
例えば、子を持つ者として「自分は理想的な親だ」と思う方はおられるでしょうか? そうありたいとは願っていても、現実はそこからずれているというのが本当でしょう。許すことが出来なくてイライラしている自分の心を、これは私の問題ですとありのまま正直に、「私は今イライラしています」「許せません」「傷ついています」と神様に申し上げるなら、神様はその“ずれ(罪)”を赦し、きよめて下さる、これが聖書の約束です。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7)
こんなことを言っては、などとあれこれ心配しないで、許せないなら許せないと自分の心を正直に神様に申し上げる。と同時に、「でも、それは私のずれた(罪の)心です。本当は許せた方がいいのですから、このずれた心をきよくして私を変えて下さい。」と自分の限界を認めて、神様にお願いしなさい、というのです。その時、神様は私たちの心を変えて下さる・・・それは何千年にもわたって、この聖書の神を信じる人々が実際に体験してきたことなのです。
自分の心が苛立つ時、相手を攻撃することで自分の心の問題を処理しようとしたり、必要以上に自分を責めたりするなら、かえって一層相手との関係がこじれてしまいます。けれども、それが自分自身の心の許容眼度を越えたためであることを認めて、神様に「助けて下さい」と祈るなら、神様は私たちの心を落ち着かせて下さり、相手の気持ちや思いを正しく理解し受け止めて、良い人間関係を築いていく者へと私たちを変えて下さるのです。 |