「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)
聖書は、『人はだれでも生まれ変わることができる』と語っています。“だれでも”です。例外はありません。条件は『キリストのうちにあるなら』、言い換えると、キリストを信じ自分の救い主として受け入れるなら、人は新しく生まれ変わることができるというのです。その秘訣は、十字架にあります。
私達は小さい時から、神様はバチを当てる方と教えられてきたかもしれません。しかし聖書は、『神様は私達を恵もうと待っておられる』『神は私達を愛しておられる』と語っています。それなのに、その神様の愛が私達に届かない。それは私達が罪を持っているからだ、と聖書は語ります。しかし、キリストが私達の罪を負って十字架にかかり、身代わりとなって罰を受けて下さった。だから「私の罪を赦して下さい」とお願いするなら、私達の罪は赦されきよめられて、神様の力を受けることができる、というのです。
飲む打つ買うと極道の限りを尽くした元ヤクザが、キリストを信じて全く変えられ、今は牧師としてキリストの救いを伝えているということを、先日テレビで紹介していました。彼は社会のゴミ、クズと言われた自分が救われた、今は本当に生きる喜びがあると語っておられました。どうせ私の人生はこんなものと希望を失いかけている方がもしおられるなら、ここに希望はあるということを、ぜひ知って頂きたいのです。
私達は気付かないうちに、色々なものに縛られています。 本当はこうしたらいいのにと思っても、人の目を気にして、自分か正しいと思うことができないという束縛はないでしょうか。本当はここで相手を許したら物事は解決すると分かっていても、どうしても許すことができない。ある人をどうしても愛せない。ねたみや嫉妬、憎しみがとれない。プライドや競争心など、私達は色々なものに囚われていると思われないでしょうか。しかし、このキリストのうちにあるなら、あなたは自由になる、新しく生まれ変わることができると、聖書は約束しているのです。
「もしあなたがたが、わたし(キリスト)のことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ローマ8:31〜32)
|